リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

jogantoru2005-11-23




 関東人のくせに僕も自分の両親をオトン、オカンと呼んでいる。
 小さい頃はパパ、ママと呼び、それがお父さん、お母さんになって、思春期にはオヤジ、オフクロと呼ぼうと思ったけどそういうキャラでもなく、でもお父さん、お母さんと呼ぶのはなんだか気恥ずかしくて、テレビでダウンタウンが「オトン、オカン」と言っているのを見て「関西には何と便利な言葉があるのだ」とこの呼称を採用し現在に至る。ブログではパパン、ママンと書いてはいるがそれは軽いセレブ感を演出したいからである。
 今後僕がお父さん、お母さんと呼ぶ日がまた来るのだろうか。僕が女子なら結婚式の朝に「お父さん、お母さん、今までお世話になりました」ってやるんだけど残念ながら僕は男子である。


 この本はリリーさんのオカンへの長い長いラブレターみたいだ。それはマザコンなんていう言葉で片付けられるもんじゃなくて、それを言うなら僕もマザコンだろうし、世の男子はほとんどマザコンだ。昔なにかの本で「生まれてきて最初に接する女性が母親なんだから母親が好きで当たり前だ」というのがあり、確かに言うとおりでどうしたって母親基準になるんだと思う。


 リリーさんのオカンは69歳で亡くなってしまったけど僕のオカンは健在だ。でもこの先なにがあるか分からない。現に詳しくは書かないがうちのオトンは一度命にかかわる大病をしている。
 そのとき初めてリリーさんのいう『確実に訪れることがわかっている恐怖』を肌で感じた。それはいつか本当にやってきて、どうしたって逃げるわけにはいかないのだ。
 先日帰省するバスの中で本書を読んでいた。僕の知らないオカンやオトンがもっともっといるんじゃないかと思い、もっと大事にしようと思った。相変わらず感化されやすい僕だけど、こういう感化ならいいかなと。むしろ気付けてよかった。
 今回はちょうどオトンとオカンが出る小さなコンサートがあったので行ってみた。オトンはハーモニカを吹き、オカンはコーラスをしている。
 初めて見た。
 なんだか気恥ずかしかったけど見れて良かった。
 今度は一緒に旅行にでも行けたらと思う。もちろん僕のお金で。いつまでもフラフラしてる息子だけど出来る限りの孝行をしようと思った。
 ここに書いちゃえば実行せざるをえないし。


 僕ですらこんな事を思えるのは、やはり本書がリリーさんのオカンに対する、そしてオトンに対する、素直な愛情が溢れているからだ。装丁や挿画、写真はもちろんリリー・フランキー本人(中川雅也名義)が手掛けている。そして題字はオトンである中川弘治さんが書いていてそこにまたグッときた。
 家族ってのはいいもんだ。
 

 実際うちの両親のスネはかじられまくってガリガリになってますが。