年相応と固定観念とYシャツと私
年相応という言葉がある。自分の年齢に見合った云々をアレすればいいんじゃないのみたいな意味だ。そしてその《年相応》には他年代からの《固定観念》が加わることによる決まったイメージが出来上がる。
例えば赤ちゃんは柔らかい食べ物を好むし、子供は童謡を歌うし、老人はあまり動かない。
しかしそれは《固定観念》という決め付けによるものであって、意外とみんな《年相応》じゃなかったりする。うちの甥2号(2才)は食事中に「肉!肉!」と要求してくるし、甥1号はケツメイシの『三十路ボンバイエ』や修二と彰を熱唱するし、森光子はでんぐり返りが大好きだ。
ごちゃ混ぜの年相応はなかなか侮れないのである。
職場にSさんという60歳を過ぎた人がいる。僕が帰り支度をしていると、
「成願くん、今日は劇の練習?」
といつも聞いてくる人。「劇」って響きに軽く凹む。
それはさておき、先日Sさんが話し掛けてきた。
「この本、意外と面白いんだよ」
手にはカバーのかかった文庫本。Sさんはよく昼休みに本を読んでいる。そんなSさんは何を面白いと言っているのだろう。
ここで僕の中の固定観念がSさんの年相応を考察。Sさんが読んでいるのは西村京太郎? 藤沢周? 待てよ、まさか、…I田D作!? え? 勧誘? 勧誘セレブレイト!?
「タイトル見て面白そうだったから買ったら、これが意外と良かったんだよね」とカバーを外して見せたその小説は、
これは思い付かない難問である。まさかの東京ゾンビである。60代のハートを捉えた『東京ゾンビ』もすごい。
とりあえず「読み終わったら貸してください」って言っておいた。
なんと信用ならんものか、固定観念。
子供の頃《大人は半ズボンを履かない》と思ってたけど、今の僕は夏毎日半ズボンだ。年相応なスラックスなど持ってすらいない。暑かったら半ズボンだし、来年も再来年もずっと半ズボンだろう。
時代と共に《年相応》も変わっていくんだ。年相応に収まるんじゃなく、自分なりの年相応ならそれでいいんだ。
と、もっともらしい事を言っているが、要は「60代に東京ゾンビを薦められてびっくりした」って話が書きたかっただけだ。
あと、いつまで「今日13日の金曜日じゃん」って思い続けるんだろうと思いました。はい。
- 作者: 花くまゆうさく,佐藤佐吉
- 出版社/メーカー: 竹書房
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