楽天的でも厭世的でもなく

jogantoru2005-09-26


 【厭世的】とは【楽天的】の対義語であり【人生や世の中をはかなむ傾向にあるさま】を意味する言葉である。
 楽天イーグルス田尾安志監督が就任一年目で懐妊された。
 田尾お腹ボーン!田尾臨月!まさしくタオの月!ウーン、相手は一場投手!?
 とかではなくて解任された。
 確かに勝率3割未満はひどいけど、初物尽くしで95敗なんて逆に思い出深くていいんじゃないかと思うけど、むしろ100敗して歴史に名を刻んじゃえばいいじゃんよと思うのは楽天的すぎるのか。これが三木谷じゃなくてホリエモンだったらこの成績すらも何か盛り上げちゃうんじゃねえかと思うのは僕だけだろうか。
 とはいえ田尾監督はかわいそうだ。当初から3年契約なんだから先を見越して長い目で見てたんだろうけど、本人曰く「勝負の世界は厳しかった」ってことなんだろうか。それを聞いて先日読んだ大槻ケンヂの本にあった「毎日がジャッジされている」という言葉も思い出した。厳しいジャッジだったようだ。
 しかも来年は清原移籍の噂もあったので残念である。清原が移籍したら俄かイーグルスファンを気取ってホテルカリフォルニアろうかと思ったんだけど後任候補筆頭はシダックス野村克也監督だという。なんか厭だ。野村「最後は息子とやりたい」だって。ちょっとびっくりしたっつの。野村家は女房も厭だし息子も厭だ。なんだろう、落合親子の方がなんとなく微笑ましい。
 それにしても田尾の「今後? そうですね、解説者になります」って切ないな。「なります」って。なんかもっとあるじゃんよ、とか思う。田尾現役の時好きだったのに。僕の中で『2番ライト』といえば田尾だ。しかし田尾はそれ以上でもそれ以下でもなくやけに打つ『2番ライト』なのである。ほんのりハンサムなばっかりに中途半端な感じだった田尾が監督にまでなれたのに。ああ、切ない。


 でも田尾監督にしろ、ロッテ牛島監督にしろ、現役時代を知っている(一緒にプレーしたわけじゃない)人が監督になったりすると時代の移ろいを感じつつ、やはり応援したくなる。全盛期を知ってる桑田とか工藤とか、もちろん清原とか、その歴史がドラマなんやね。中年層が野球好きなのってそういうのもあると思う。長嶋さんは現役から監督までミスターだし、金森(阪神)はコーチやっててもデッドボールくらってそうだし、クロマティはきっと今もガム噛んでる。ガム噛んでるから巨人の監督にはなれない。たぶんガムは関係ないが。
 やっぱサッカーって歴史が浅いから気がつきゃ知らない選手ばっかりで焦る。テレビで見ててもなんだかよく分かんないんだな。もちろん監督だって知らない。松木監督とかどこの嘘吐きかと思ったしトルシエに関してはポルノ監督のようだった。でもゴン中山とか三浦カズなんかが監督になったら応援するんだと思う。これから歴史を作るんだねサッカーは。
 そうして時の移ろいを肌に感じつつ、人生やら世間が儚く思えてきてケツメイシの「三十路ボンバイエ」がやけに胸に響く、そんな厭世的な秋の夜空にはタオの月。