酷使夢想

 多忙である。
 他人様が見れば「何が多忙じゃ、俺の方が多忙じゃ!お前が多忙だったら俺のはタタ小亡じゃわい!」とギャル文字で怒られるかもしれないけど俺にとって今の多忙は多忙この上なく多忙オブザイヤーである。たぶん多忙にも個人差があり俺の多忙という定義は容量が他人様より小さいんだろう。さらにはこの多忙の根源にあるのは本意でないところでの多忙のせいであってそれが殊更苛つくのである。
 嗚呼、働くってめんどくせえ。
 今の子供はキレやすいというが今の俺はキレやすい。日中は8割方キレている。あんなにジェントルでウィットに富んだ会話を返して何事も綽々と切り抜けていたのに。今では運転すれば前の車に悪態吐いて携帯鳴れば文句言いながら出て電話切れば呪詛の言葉を浴びせかけるのである。
 不必要なくらいに神経と体力を酷使し過ぎている。
 こうなってくると身の回りにあるあれやあれやあれを放り投げてしまいたいけどいろいろあるからそれは出来なくて八方塞がりなもんだから現実逃避しかなくて夢想するのだ。
 どんな夢想かっつうとそんなん書けないようなことばかりでそれなら言うなよって感じだけどなんとかタイトルに結び付けたかったみたいなところもあるのは否めない。育ってきた環境が違うから好き嫌いも否めない。人それぞれ十人十色である。みんな大変なのだ、きっと。今日電車の中でサンダルはおしゃれなのに水死体みたいな顔で寝ている女の子がいた。水面にたゆたうように揺れながら寝ていた。無様だった。あの子も大変なのだ、きっと。だから、なんか最近愚痴をぐちぐち言い過ぎている俺もそういうのは今日でおしまい。明日からは楽しい夢想に生きていきます。


 ん?今気付いたんだけどグッチ裕三→愚痴言うぞうなわけ?じゃあモト冬樹の由来は?