スパゲティをパスタと呼ぶようになった俺は電気羊の夢は見ない。

 考えてみると幼少期には『パスタ』なんて言葉はなかった。しかも当時はスパゲティと言えばナポリタンかミートソースしかなくて高校生になって初めてカルボナーラを食べた時にあまりのドロドロクリーミー感に「なんてオシャレなスパゲティなんだ」と驚愕したものだ。
 そして時は流れスパゲティには『パスタ』なる呼称があることを知る。それが大人への階段だったわけで、それはジーパンをジーンズと、お母さんのことをお袋と、お寿司のことをシースーと呼ぶようになるのと同じで、なんとなくスパゲティっていうよりパスタって言う方がオシャレっぽい感じがするし一枚上手感があるのだ。
 そう言われてみるとパスタの方が断然高級感がある。アルデンテ。そこんとこアルデンテ。ね。アルデンテとかそういうのもパスタ専門用語な感じするもん。「スパゲティはアルデンテで」なんて言うと図式として『スパゲティ<アルデンテ』であり、アルデンテの方が偉そうだ。それはまずい。美味しくてもまずい。
 意外と俺はよくスパゲティ、いやパスタをよく食す。先日も蜜の公演の前に中野で食べたのだが芝居を観る前の短い時間にはうってつけだったりするんだけど、何故かっつうと出て来てから猛スピードで食べれるからだ。ラーメンだと猫舌な俺ははふはふしながら慌てて食べて芝居観ながら舌がビリビリ軽火傷しちゃうし、立ち食いそばだとなんか体から出るそばつゆ臭がオッサン臭い感じで何処か後ろめたくシェチュネェのだ。だからパスタというチョイスが多くなるのは自然の摂理なのである。
 しかし。
 しかしである。パスタはメニューが多彩過ぎて困る。ナポリタンかミートソースの2択だった時代は楽だったんだが今のパスタは種類多すぎでしかも「これだ!」ってのがなかったりする。完璧を求めてはいけないんだろうが一つの蛇足が俺の一歩踏み出す勇気に歯止めをかけてくる。
 例えば。
『海老と』よし!
『キノコの』よっしゃ!
『和風』いいぞ!
『醤油』キターッ!
『バター』……。


 Noーーー!
 重い。バター重いよ。いいじゃん、和風醤油でいいじゃん、なんでバター付けちゃうんだよ。となる。もちろん「これバターなしで」などと言えない俺だし、仮に言おうもんなら「えー、バター。バターを加えると風味が増すなどと言われますが、牛の乳首というものは元来長さが云々」などとどこぞの蘊蓄王みたいな対応をされても困るので諦める。そんなこんなでパスタ屋さんでの俺はメニュー上で消去法でのパスタ選びを余儀なくされ、気がつくと魚介のトマトソースばかり食べてしまうのだ。
 ここで提案。
 パスタもトッピング制にしたらいかがなものか。メインとなるソースの味を選び、具材は数ある中から基本で3品をチョイス、それから追加で具材やら調味料を増やせばいいのだ。ラーメンだってカレーだって讃岐うどんだってそういうのあるんだからパスタ業界だっていつまでも押し付けばかりでなく俺の方に歩み寄ってきてくれないものか。
 これ商売としていけるんじゃねえの?意外と大衆のニーズあるんじゃねえの?
 そんな俺の起業家魂が疼く。そうか。誰もやらなければ俺がやればいいのだ。世の中の俺みたいな辛い思いをしている人々のために俺がひと肌脱ぐべきじゃなかろうか。そして俺はパスタ業界をのし上がりパスタの王様、そう、パスタ王、いやスパ王になろうじゃないか。
 上がるボルテージ。燃え上がる俺ベンチャー。パスタ界のホリエモンになろうじゃないか。
 しかしそこで重大な事に気付く。

 だめだ、俺アルデンテも分かんない。