チキンピラフとセンチメンタル

 東京に出てきてずいぶん経つ。ここで「もう何年経った」みたいに書くと微妙な弊害が出て来るから書かないけど、まあかなりだ。
 東京に出て来る前は茨城にいて、何の取り得もない訛りに訛った高校生だった。まだ軽くボンタンとか履いて湘南爆走族ダウンタウンに憧れる田舎のシャイな高校生だった。毎日毎日駅前のパチンコ屋の2階にある喫茶店にたむろってた。「プラム」って名前のその店は、高校生でも学ランのまま煙草吸ってても全然OK、むしろ灰皿を出してくる良心的な店で、そこで毎日のようにケチャップべちゃべちゃのチキンピラフを食べてぐだぐだぐだぐだしていた。すべての席にテーブルゲームの麻雀ゲームかスロットゲームがあり、俺は専ら麻雀をしてた。勝つと役に応じてお金がもらえるのだ。満貫で500円。で、満貫で上がると「おじちゃーん、満貫出た、満貫」って店のじいさんを呼んでその500円でチキンピラフを頼む。べちゃっとしたチキンピラフをニチャニチャと食うんだけど、それが美味かった。
 思い出の味ってやつだろうか。ふと高校の頃食ってた味って思うとそのチキンピラフが思い出される。今はその店はなくなって丸井になっちゃったから勿論食べられるわけもないけど。
 その時に一緒にいた友達は今は何をしてるんだろうか。まったく連絡を取ってないので分からない。東京に出てきた頃はたまに会ったりしてたけど、だんだんと疎遠になる。そういうもんだ。と、思ってた。けど、違うのかもしれない。まあなんつうか人付き合いが苦手であって、最近は多少解消されつつあるけど、どうも人と向き合えないってところが確かにある。なんつうか上っ面である。上っ面の「けっこう面白いやつ」みたいなキャラを顔色伺いながら演じてた。何ていうか誰かと対峙した瞬間にその人に合わせた自分になろうとする。だから主張がない。意見がない。あーこの人はこういうの楽しいみたいだから今は俺楽しそうにしてようっとなる。みたいな感じ。だから疲れる。だから離れると会わなくなる。共有していた物が弱いから。
 と、今だと思う。ちょっと冷静に当時を振り返れてるから。そりゃ当時は分かりませんよ。必死だから。
 だから今になってあの時のチキンピラフの話とか当時の赤裸々なトークを出来る人間がいないってのは寂しいなと思う。うん。そんな事を今さら思ってみた。
 たぶん昨日久しぶりに「STAND BY ME」を聴いたりしてそんなセンチメンタルカンガルーな俺になったんだと思う。たまにはいいんじゃないの。そういうの。 
 うちの高校は意外と頭のいい学校だった。今はどうなんだろう。でも女子の制服は幼稚園の園児服みたいで「だっせー」とか思ってたけど、あるスジにはいい感じなんだろうな、とこの歳になると気付く。でも校門入ってすぐにあるふんどし姿の銅像は、なんか気恥ずかしかった。肛門が疼いた。