流鏑馬ハンサムガール
先日行ってまいりました。
やぶさめハンサムボーイたるもの一度くらい生流鏑馬を見ておかないとなりません。生流鏑馬は生春巻きと少し似てますが食べれません。でも馬は食べれますし、やせうまは大分のお菓子です。
さて。連れと合流して浅草の駅に着き、金のうんこを目標に隅田公園へ歩きますと、全然やぶさめってる気配がない。ぬーん。どういうわけ?とか思ってると白人の男性が話し掛けてきた。
「スミマセン、ヤブサーメ?」
お、お前らも流鏑馬行くんか、日本の伝統文化を体験したいんか、そら殊勝な心構えや。
しかし、僕らも場所が分からない。でもここで「アイムソーリー、分かんないです」みたいな弱気なジャパニーズを見せてしまってはBSE問題やら海外派兵やら中国問題やら全体的にまた弱腰JAPANをアピールすることになる。
僕は日の丸を背負って強気に出なくてはならない。
「レッツゴー、トゥギャザー!」
見ると外人チームはさまざまなカラーで20人からいる。流鏑馬は川向こうでやっていると知り、「カマーン」みたいに手を振り上げて橋を渡り始めた。振り返ったら外人たちがぞろぞろぞろぞろと「アノスカジャンノ小男ニツイテイケYO」みたいな感じで着いて来る。その様はハーメルンの笛吹きの如し。僕は振り向きもせずもくもくと歩いた。そう、これ以上話し掛けられてもキャパオーバーなのである。
で、なんとか会場に着くと人満載。
外人たちと別れて(というか着いたら全然いなくなったんだけど)席を確保して初流鏑馬にワクワクする。
ここで豆知識。
流鏑馬の語源は「馬を馳せながら矢を放つ」という意味から「やばせらむ」といわれたものが「やぶさめ」になったという。鏑(かぶら)のついた矢を馬上より射るわけです。
元々は西暦700年頃に始まった行事で日本書紀に「馬的射」と記されていて、その後鎌倉時代に「流鏑馬」という名になり、盛んになったそうです。お盛んだったそうです。馬なみだったそうです。はい。
鎌倉以降は衰退したんですが、江戸時代になって八代将軍吉宗(暴れん坊、又はスロット)が世嗣の疱瘡平癒祈願(たぶん疫病とかが収まりますように的な)のために流鏑馬の奉納を命じ、それ以来将軍家の元、流鏑馬が行われたんだとか。で、この様式を「騎射挟物式」というそうです。
などと説明してるうちに、ようやく始まった流鏑馬の人々入場、そして歓声。
この馬に跨ったメガネやらスポーツ刈りやらジジイやらが流鏑馬をするわけです。
これが的。
この人たちが頭の上に的を掲げて、そこに向かって馬上から射る。
ソレ、トテモ危険。死ね言うヨクナイ。(藤木直人で)
去年は的役の人から死者が多数出たらしい。
嘘。
竹の上に設置しまして、それを射るわけです。この的には裏に紙ふぶきが仕込んであって命中すると紙ふぶきが舞って「おおおお!」とかなる。素敵。
こんな感じ。素敵。
外れるとものすごい溜め息の嵐。地味なプレッシャーがかかる。でも、全般的に盛り上がってはいるんだけど。
で、一番盛り上がったのが彼女。
流鏑馬ハンサムガール。
中学三年生。
ある意味これも萌えの類なのかと思いましたが、ちっさい体で見事に射抜いておりました、的やハートを。
そんなこんなで一時間の流鏑馬タイムは終了したのですが、なんだか一人気になる人物が。
ジョン・カビラのような、川平慈英のような。
しかし、あまりヒューチャリングされていない様子だったので、おそらく次男の川平謙慈氏かと思う。そうです、流鏑馬イインデス!とか言ったりはしないんだろうかと思って見ていたが、そういうことはしなかったよ。
プライベートだから。
追記
昨夜、まっつんこと松井美帆嬢から「トオルさん流鏑馬行きました?」ってメールがあって、「ぬな!?ばれち?」と思ったら、まっつんの友人が会場に居て僕に気付いたらしい。
いやん、恥ずかしいやん。
プライベートだから。いやん。
プライベートだからいやん。
プライベートライアン。
以上!ライアン二等兵を、前線から連れ戻してこい!いやです!
ライアンもハンサムも同じ二等兵ですね。なんだか仲間意識。
でも、誰が見てるか分かりませんね。世間は狭い。
もうホームレスとゴミの奪い合いしたり、歩きながら長い放屁をしたりするのはやめようと思いました。