人生は生き残りゲームだ

jogantoru2005-11-19



 朝、パパンを最寄の駅まで車で迎えに行くことになり、久しぶりに行ってみたら相変わらずにそこだけ切り抜かれたようなノスタルジック。いつも帰省する時はその一つ前の駅で降りちゃうんだけど、実際はこの駅が一番近い。でも周りには何もないし使わないんだけど、このままじゃ誰も使わないんじゃねーのってくらいに老朽化している。
 この入り口なんかで大人しそうな女子高生が友達と待ち合わせなんかしてて微笑ましい。きっと彼女が東京に出る時にはみんながこのホームで彼女を見送り、でも彼女が大好きだった彼だけは来ていなくて寂しい想いをするんだけど、電車が走り出すと見慣れた田園風景の中、自転車で走る彼。彼は何かを言っているようだが聞こえない。慌てて窓を開けるけど、やはり彼の声は聞こえない。「聞こえないよー」。彼は必死に手を振る。私だって負けないくらいに精一杯手を振って、さよならなんて言いたくないけど、きっとまた彼とは会える。そして声は聞こえないけど気持ちは届いているからネ。
 そんな恋物語がよく似合う。


 昼になると甥っ子たちが遊びにきて、なんでも僕と遊ぶためのゲームを用意しているのだとか。
 ムシキング? それともマジレンジャー
 なんて思っていたら


 


 生き残りゲームだった。
 懐かしい。つか、まだあったの。そして何故に甥はこれをチョイスしたのだ。
 元々この生き残りゲームってのは73年に生まれたゲームで70年代には100万台が出荷された超人気ゲーム。それが最近復刻して新たなブームなんだとか。ルービックキューブみたいなもんだろうか。
 やってみるとさらに懐かしくて、意外と頭を使う。
 そして生き残るために必死になる自分に人生を重ねてみる。
 とか、そこまで大袈裟じゃないけど案外楽しめる。でも甥っ子を勝たせようと気を遣ってみたりする。そんなとこにも人生の違った意味でも「生き残り」ゲームだったりもする。


 つか、見ないうちに甥っ子たちはお歌がお上手になっていて、マジレンジャーなんかはもちろんだが、SMAPの「BANG!BANG!バカンス」とか歌えちゃったりする。こんなので驚くのはまだ早くて、彼ら(4才児と2才児)の一番のお気に入りはケツメイシの『三十路ボンバイエ』だったりする。三十路はおろか一ケタのくせいに「♪みしょじボンバー」とか歌われたら敵わない。しかも意外とリズム感がよかったりする。全然僕よりいい感じに歌ってるのは勘弁してもらいたいが、いっそのこと二人で最年少ラッパーとしてデビューとかすればいいのに。そしたら僕はステージママならぬステージ叔父として売り出していってやってもいい。むしろやらせていただきたい。
 それが僕の生き残りの一つの道なのかもしれませんから。