露店禁止就寝
先日、雷ライブを観た帰りの浅草で写真のような注意書きを見つけた。
普段見過ごしてしまってはいるが、街はいろんなメッセージを俺らに向けて発信している。街は生き物だ。耳をすませば街の声が聞こえてくる。街は時には厳しく、そして時には優しく俺らに語りかけているのだ。以前上野でみつけた『小泉そうり大臣は人の肉を食べている』という国家の暗部を暴こうとする街の声。東大宮でみつけた『ふみんしょう(不眠症)やな』にはメンタルな部分にまで優しく労わられた。
そして浅草の声はこれだった。
このメッセージを安易に捉えてしまうと『露店で就寝するのは禁止です』と読めてしまう。だって露店の上で寝られては商売にならないからだ。そりゃ禁止だよ。邪魔だもの。
しかしこれは不正解だ。
これでは裏を返せば露店以外では寝てもいいという事になる。でも実際コンビニのレジの上や地下鉄の自動改札や雷門のでかい提灯の中でも寝てはいけない。法律の事はよく分からないが、たぶん寝ちゃだめだと思う。やはり邪魔だからだ。
だからこのメッセージには違う意味があるのだ。
露店
禁止
就寝
考える。邪心を捨てて考える。いや、むしろ感じる。街の声を感じる。
すると答えは簡単に見えてくる。
この3つの言葉で作られたトライアングルの中に真理を見つけることが出来る。
≪露店≫≪禁止≫≪就寝≫は一見バラバラに見えて実は見事な相互関与をしており、そこには人間の生きるべき真実が顕著に現れているのだ。
露店は禁止です。
↓
禁止されちゃったから寝るか。
↓
いいかげん寝るのも飽きたなあ。
↓
よし、露店でもやるか。
↓
露店は禁止ですって。
↓
仕方ない、寝るか。
↓
あーあ、よく寝た。
↓
露店でもやるか。
…って、あれ?
はっ!ループしてる!
そうなのである。
つまり≪人生はループ≫=≪同じことの繰り返し≫なのである。人生とは単調な流れの繰り返しであり、それは人類の歴史を示しているのである。
でも、それでは人生には希望がないのではないか。浅草の街はそんな哀しい現実を人類に突きつけるのだろうか。
そうではなかったのだ。答えはさらに奥にあったのだ。
もう一度この3つの言葉を読んでみる。声に出して読んでみる。
露店
禁止
就寝
≪露店≫≪禁止≫≪就寝≫は≪ろてんきんししゅうしん≫となる。簡単なアナグラムだ。これらの言葉を並べ替えることにより答えは出る。≪ろてんきんししゅうしん≫は≪しんしゅうてんきんしろ≫、つまり、
≪信州、転勤しろ≫
そうだ、信州行こう。
きっといいところだもの。
信州といえばりんごの産地である。アダムとイブが食べた知恵の実もりんごであろうと言われている。そこに何かがあるのである。
信州へ行くべきだ。
信州に転勤して信州蕎麦食べて、のんびりと細く長く生きる。
それもまたよい人生ではないか。