コップ一杯の勇気

 俺は猫舌である。
 かなり子供の頃の話。夕飯に出てきたカレーライス。そのカレーがどうにも熱かった。熱くて食えない。カレー大好きなのに。そこで幼かったトオル少年は妙案を思い付いた。コップの水をスプーンで掬うとカレーにびしゃびしゃとかけていったのである。熱いカレーがいい感じになるとの判断の上での行動だった。すると母は「何やってんのよ、ほれー」と激怒。子供心に『熱い→冷やす』という至極当然の行為はNGだったのである。そして、トオル少年の心には『食べ物に水をかけちゃいけない』というルールが一つ追加された。
 現在。普通の男子のように俺は牛丼屋によく行く。圧倒的な松屋派だ。カルビ焼肉定食を頼んで肉にもサラダにもバーベキューソースを鬼のようにかけて食うのがいい。サラダなんかタレ漬けみたいになってるくらいが丁度いい。現代っ子のような味覚である。
 松屋は定食が充実してるから吉野家なんかより全然いいんだよねーとか思いながら、気付いた。俺が松屋好きなのはそれだけじゃなかった。
 味噌汁がぬるいのである。
 基本的に松屋ではタダで味噌汁が付いてくる。それはよい。何の問題もない。お得感しかない。しかし、吉野家では味噌汁が付かない。松屋ならタダなものに50円とか払わないといけないのである。俺は硬貨でも銀になってくると大変名残惜しくなってしまうのでたかがミソスープに払う50円が悔しい。でもやっぱり心は日本人。お箸の国の人だもの味噌汁だって飲みたいやい!と味噌汁を頼む。
 吉野家の味噌汁はすごく熱い。
 今までは「熱いよー熱いよー」と思いつつ、牛丼→味噌汁→水というローテーションで食べていたのだがそれも効率が悪い。つうかあんまり味噌汁の意味がない。で、水飲まないと圧倒的に味噌汁だけ余ってしまう。せっかく銀の硬貨使ったのに味噌汁の効果全然ねえ!そんな肉親だったら殴られそうな駄洒落しか浮かばないくらいに無駄無駄無駄な感じなってしまう。
 そこで思い出した。子供の頃の思い出を。

「水かけりゃいいじゃん」

 これぞ幼少時に編み出した『熱い物には水掛け論』。しかし、俺も大人である。カレー屋さんで「ソースください」って言うのが失礼なように味噌汁に水混ぜたらやっぱ失礼なんじゃないだろうかと思うわけである。でもこんな名案なかなか思いつかない。じゃあどうする。考えた。俺考えた。そして俺はおもむろに水を飲むフリをしてコップの中の氷を口に含み、その状態のまま何食わぬ顔で味噌汁の器を口に近付け、味噌汁を飲むフリをして氷を味噌汁の中に落とす。コップの中の氷を全て移し替える頃には味噌汁はいい按配で飲みやすくなってるという寸法だ。
 この作戦が功を奏し、しばらくは吉野家でも熱い味噌汁を撃破してきたのであるが、ある日気付いた。

「何してるんだ俺は。これすげーかっこ悪いぞ」

 確かにいつもせっかくぬるくした味噌汁を飲みながら心は暖まるどころか切なさすら覚えていた。何とも無駄な行為に勤しんでいる自分の姿を客観視してしまった瞬間からそれはすごく恥ずかしい事になってしまう。鏡に写った自慰行為を見たら確実に萎えるのと一緒である。
 だから最近は味噌汁が来たらすぐにコップの水をジャボジャボ入れてます。だって金払ってんだもん。別に文句ないでしょーが。ジャボジャボジャボジャボ。コップから流れる水を見ながら「わー俺って大胆」と悦に入ってる俺がいる。コップ一杯分の勇気を持てたから俺は思うがままに味噌汁を堪能出来るのである。万歳、俺。
 他にもっと勇気を持たなければならんところはたくさんあるんだけど、まあまずは味噌汁から。

 脱線。村上龍の小説に『イン・ザ・ミソスープ』というのがある。味噌汁の話を書きながらそんな小説があったなーと思い出した。外国人旅行者のフランクに歌舞伎町を案内するケンジ。歌舞伎町で連続しておこる異常殺人。フランクがその犯人なのではないかとケンジは胸騒ぎを覚えながらも彼と夜の街を歩く。結構好きな話である。
 しかし後半でフランクが味噌汁を飲むシーンがあり、そのシーンをふと想像すると、味噌汁を飲むフランクの姿が『ピューと吹く!ジャガー』のジョン太夫セガールになってしまった。
 縄で縛られたジョン太夫が床に這いつくばった状態で味噌汁をはふはふ言いながら飲んでいる。そして味噌汁をひっくり返して熱い汁を浴びて「はうあ!」と転げ回るジョン太夫
 そんな姿が浮かぶ。もうなんだか分からないが、一人でニヤニヤしてるのも何ですので書き記しておこうと思う。
 

 ちなみに今日はすきやのニンニク豚丼を食べたので、ものすごくニンニク臭全開です。今日の稽古で俺と絡む人、ごめんなさい。