腑抜けでも、逞しく育ってほしい
僕なら息子にこう言ってやりたい。
でも腑抜けでは困るか。間抜けならハマジみたいで愛嬌があるんだが。
間抜けで逞しい子ならあらゆる状況下においても生き残ってくれそうに思える。
公演が終わって空っぽになった腑抜け頭に色々詰め込んでいこうと思い、先ずは『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を観る。久々にスクリーンで永瀬さんを観る。
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両親の葬儀で帰ってきた女優志望の身勝手妄想暴力女、澄伽。サトエリは実際こんな感じなんじゃねえのかってくらいのハマり具合で、こんなんなら海老蔵に逃げられる。そんなことより海老蔵はラブラブな時期には海老ちゃんとか呼ばれてんのか。むしろ海老たんか。どっちでもいいが。
僕の回りには女優という人がたくさんいますが澄伽を見ていると女優とは「人として憂いのある女」という意味なんじゃないかと思いつつ、あながち間違いでもない。要は誰しもそういう部分があって際立たせてみれば案外みんな滑稽なくらい身勝手だ。
そんな澄伽に対するのが澄伽に言いなりの兄と虐められまくる妹と兄嫁。その辺の攻防は映画観てナンボですからさておいて、そんな中にいる兄嫁=永作の存在感が強い。
矢沢永作じゃなく永作博美ね。元ribbonの方ね。
この兄嫁こそ前述の「間抜けでも、逞しい育ってほしい」タイプの人間ーとはいえ実際は間抜けなだけではないんだがーで、この逞しさこそが生きるためにはやはり必要である。
人間関係って本当面倒くさくて、いくつになってもニートに憧れてしまうが、気疲れで肩腰パンパン眼精疲労にまでなりそうな時には多少間抜けにしておこうと、時にはダッシュで逃げるのもアリなんだなと思えてきた。
なんか芯にずーんとくる、地味ながらなかなかの傑作ではないんでしょうか。
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観終わってから畠山鈴香の事件を思い出す。澄伽と鈴香で名前が似ているだけでなく、何も無い田舎の山村での暮らしでは報道にもあった鈴香がチョメチョメ云々ってのも理解出来なくはない。それを肯定するわけではないけど、抗えないであろう可能性は否定出来ない。
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
【監督・脚本】吉田大八
【出演】佐藤江梨子/佐津川愛美/永作博美/永瀬正敏/他